熟年夫婦の在宅介護生活365日「胃ろう・気管切開・嚥下マヒ・糖尿病・認知症・」心臓は生体弁・人工血管・脾臓は摘出・それでも人生は一度限り・100才を目標に生きていきます。

日本百名山を完登したけれど・寝たきり要介護5の妻を介護しながら夫の寺ちゃんが描く、子供時代と青春時代、そして今。

2019・9・22・日曜日・目標は100年~♪

 この熟年夫婦には 100年・生きることが楽しいことになっている。

人生って 100年 生きても 尚 生き足りないところがあると思う

自分の為になること 人の為になること 真面目に生活していくこと

見ている人は見ているものだ 理不尽なこと されて耐えていると 人相が変なのに変わっていく

いじわるされて黙っていると 次はもっとひどくなる 態度で 声で ヤメロと叫ぶか 逃げるか 行動できるのは自分だ。

もう一つのブログ「介護百名山」で 夫婦が 頑張っている どうしてだろうか ガンバルの辞めたら 楽になれるのに・・・

人間は 楽しても良し 苦労しても良し その両方を 味わいながら 生きることのほうが うまれてきた甲斐があるというものだ。

それでは また~

もう一つのブログで 会いましょう~ 

令和元年9月22日 介護夫婦 より

 

5/18木曜日・不可能な事に挑戦中~

あり得ない 症例が皆無

 反回神経マヒ 嚥下機能障害 気管切開孔 胃ろうPEG

全て 治療を完了して

 元の体に 戻る  でも そういうこと 不可能となっている

5/17・久しぶり みんな あたしのこと 覚えてた~ 

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くち きれいにして~

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バタン 寝る

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※とにかく 人の出たり はいったり 多いの 寝るの~

 5/17 23時 松ちゃん応援団 団長 寺ちゃんより

第一回目「ご飯を食べられませんので胃ろう増設手術」

お知らせ

 本ブログでの記事 これ 実際に 今 寺ちゃん(本プログの執筆者)が 妻の松ちゃんに 施していることがらです 在宅介護において 夫として妻を介護している 日常を レポートしています。

これから 在宅介護の道 選択の方 道しるべに なれば幸いです。

但し、本プログは 介護日記 ですので 内容の著作権は こちらにありますので 無断転用については ご遠慮 いただきたいと思います。

朝は6時 昼 夕 三回の胃ろう栄養

 用意する道具

ボトル チュウブ 栄養のラコール400ml

栄養のやり方

流しで 行う ボトルに 栄養いれる カーテンレールに 吊るす チュウブ 松ちゃんの胃ろうPEGに 接続する 声かける 今から 朝食の栄養 始めます いいですか うなずくの 確認して から 30分で 落ちるように調節する スタートしたら 各 接続部分 再確認する その間 自分の食事 すること

お薬

あらかじめ 溶かす 栄養 終わったら シリンジで 胃ろうPEGに 流す

そのあと ぬるま湯で やさしく 通す

洗う

流しで ボトル チュウブ シリンジ きれいに 洗う

PEGのリボン

自家製の 作る 朝 夕 取り替える

次回から 各編 詳しく 写真付きにて おこないます 日にち 未定

59回目「うちの娘はな じゃじゃ馬なんだよ いいのか」

初めて 彼女の家に いった日

 バイト先で 知り合い しばらく 付き合った日

「こんどの 日曜日 家に きて」

彼女から 目をじっと みつめられ 言われた 「うん」

僕 25才 彼女 22才

遊び盛りの年頃 

駅から 徒歩5分 高級住宅地

その家には 駐車場があり ピカピカの車が 見えた

鉄格子に 似た 門扉 インターフォン ボタン 押した

ピンポ~ン 心地よい メロディが 空気を 揺らした

「ドーモ スミマセ~ン」九官鳥も 吠えた

「あたしっち 九官鳥 いるのよ もう うっさいのよ」

聞いていたので 驚く こと なかった

母親が 門扉 まで 迎えにきてくれて

門 開けて くれた

「お早う ございます 〇〇です」挨拶した

「〇〇子の母です いつも 〇〇子が お世話に なっています」

 

超豪邸とか 超金持ちとか ではなく 立派な家で

そこそこ なんだな という感じがした

僕は 食堂でテレビ見ていた 父親に 挨拶した

新聞見ていた テレビ見ていた でも 僕を見ていた

「話は 〇〇子から 聞いてるよ 大丈夫か うちの娘は 俺に似て いけいけドンドンのじゃじゃ馬だよ やっていけんのかよ」

「男だったら 俺の会社 あと 引き継いで もらうんだ そういうのと 付き合って 行けるのか 覚悟 あるのか」

僕は 帰ります と言うの 必死に こらえた

「はい 」と返事した

 

もう あの時の光景は 見られない でも 思い出すことが できる

懐かしいな あの時 帰らなくて よかったな

すでに 〇〇子の ご両親は 天国へ いって いる

感謝している 毎日 仏壇に 手 合わせて いる

写真も 飾ってあり 笑顔に 語りかける

「お父さん お母さん 〇〇子の介護しています 〇〇子が きのうは リハビリで 外 歩き しました 泣けて きました」

心臓の病で 寝たきりになり 要介護5 在宅介護になり

歩く訓練 はじめたところ ケアマネが言う

「寝たきりから 歩く人 日本で 初めてですね 凄い事ですね」

僕は あの時のこと 思い出す

「うちの娘 俺に 似て じゃじゃ馬なんだよ」

日本百名山を 甲斐駒で 子育てしながら 完登した女として 歴史に残る偉業を 達成した 今 介護ベッドで 一日をすごす

 

運命は 人の人生を 左右しながら 夢を 与えてくれる

燃え尽きるまで まだ しばらく ある

残りの人生 二人で 楽しむことにしよぅ

良い天気 さあ 今日も がんばるぞ~♪ たまには 八景島へ イルカ 遊びにいこうかな 車で15分だ いくか~♪

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58回目「カミナリ族」って 何? の話を 思い出した。

非行少年時代 エッ!!  怖い~

 青春時代に 気の合った友人たちと 遊びにいく

 それが 親友になり 今でも 続いている

 何でも 話す 何でも やる

 気の休まる仲間たち

 

 バイトして お金 貯めて バイク買う

 相当なエネルギーだ

 仲間が 励ます

 

ホンダのバイク専門店にいく

新車を買う

シェルボタン押す

シュルシュル ゴォー ブルン ブブブ

ご主人を 待っていたように バイクが 吠える

 

日曜日 集団で 江の島へいく

第二京浜国道を 朝 6時 疾走する

5台のバイクが バリバリ 寝ている人 叩き起こす

「起きろ~ 朝だよ~」

暴走はしない

競争はしない

ムチャはしない

ただ やたらと 音が でかい

それが 気持ちいい

 

うしろに 女の子 

みんな しがみついている

笑っている

ジーンズが 格好いい

若いって いいな

 

カミナリ族って 世間は言った

ふ~ん そうか

東京から くる グループは

10台くらい で うるさかった

でも みんな 金持ちの坊ちゃん風で

サングラスも ヘアースタイルも ジーンズも

たばこ も 格好 良かった

乗せてる 女の子も あかぬけていた

 

写真撮影の人たちも いて

何かの雑誌とかに 掲載されるんだろうなと思った

 

僕たちは 横浜グループで 派手だったし

みんなの 憧れだった

新型バイクで女の子乗せて

江の島へ ぶっ飛ばす なんて 羨望のまなざしだった

流行の先端をいっている 生意気な青年だった。

 

あとで知った

あの時の 中に 裕ちゃん(石原裕次郎) が いたらしい

背が でっかくて 体格がよくて

大き目の濃いサングラスしていたのが そうだったらしい

ジーパン上下で きめていた

 

みんな 青春時代の体験は 忘れられないものだ

お金より 大切なもの

「友情」を知り 「親友」が できるのも この頃だ。

今、 お金が あり 何もかもある

お金が あっても 心には 風が 吹く

それを 受け止めてくれるのは

青春時代の体験だと思う

それが あるから 明日も 生きられる。

そうだ 「あいつに電話しよう・・・オイ 元気か~」

お~い 元気か~ 最近 仲間にいれてくれ と言ったら「うん いいよ」って ニャーと鳴いてくれた猫 三毛猫の美人さんに 「青春時代の思い出 あるのか」って 聞いたら「バカ!!  あんたと違って あたし 今 青春真っただ中なのよ」って ニャーと鳴かれた。

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57回目 湯気 立つ 白いご飯

僕が 子供のころの話

「揚げかす 夕ご飯」のこと

温かい ご飯に 揚げかすを どばっと 載せる

そのうえ から 醤油 を かける

おもむろに 茶碗を 持つ

くちに運ぶ

かきこむ 

咀嚼する

白いご飯粒に 揚げかすの味が 醤油と一緒に 滲み込む

ニンジンとかタマネギとか 魚の尾とか

きれはし が はいっている

「おかわり!!  次々と わんぱくな手が つきだされる

男の子 四人いて 食欲 旺盛なころ

お母さんは 子作り おっぱいやり は100点だった

いつも 笑っている ワハハ ワハハ と 大きいくち 声だった

料理は 無理 おかず 作りは不可能 食べるの得意

お父さんは 小柄で 何でも 得意 和風も洋風も中華も 得意

サンドイッチ なんぞ すごいぞ

近所の人が パンと材料 持ってくると

からしバターなるもの つくり 食パンを 薄く

 きれる包丁で 薄く パッパッと切り

サラダも つくり ハムも 一緒に パンにはさみこみ

耳を カットし 斜めに 切り

濡れ布巾で 整え 盛り付ける

耳と 残った材料 と パンは 貰う

それが また 僕たちの お腹に はいる

 

ある日の夕方

お父さんが 新聞紙に包んだもの 持って 帰ってきた

プーンと 油の匂いがした 天ぷらのいい香りだった

夕食は「揚げかす」ご飯

商店街のはずれの天ぷら屋で もらってきた 揚げかす

新鮮で サクサクしていて 美味しかった

今は スーパーで「あげ玉」が パック売り されている

揚げかす とは 似て非なり と言うべき ものである

今 いくら お金が あっても 地位も 名誉も 財産が

あっても 「心に 記憶された 湯気 揚げかすの味」

「あの時の一家だんらんの様子」は 手に はいらない

でも 「目を瞑り スイッチを いれると 魔法のように

思い出すことが できる」

貧乏だったけれど 幸せだった

着るものは もらいもの

兄弟の一番 上が まず 着る

しばらくして 二番目が

また しばらくしてから 僕が

そして おさがりは 四番目に いく

四番目は 僕の弟だ

弟が 着古した あとは ハサミで カットして

雑巾になり 無駄なく 使い 尽くされる。

 

花火師は 想像すると言う そして 絵を 描くと言う 凄いなと思う

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