熟年夫婦の在宅介護生活365日「胃ろう・気管切開・嚥下マヒ・糖尿病・認知症・」心臓は生体弁・人工血管・脾臓は摘出・それでも人生は一度限り・100才を目標に生きていきます。

日本百名山を完登したけれど・寝たきり要介護5の妻を介護しながら夫の寺ちゃんが描く、子供時代と青春時代、そして今。

№23 12/30 白黒テレビと紅白と弟の話

昭和20年代後半

僕の家はトタン屋根 漬物石で押さえてある

家族6人が 貧乏生活をエンジョイしている

お母さんは お父さんに惚れてしまい

親に言いつけて 「嫁」さんになった

お母さんの実家は 大きい農家 使用人もいる

お母さんは 末っ子 わがままで 育った

お父さんは 遊び人風情で 宵越しの銭は持たない江戸っ子

お金は無いけれど 気風が良く 笑顔が良く 人気者

調子者で 舞台に立つ 都都逸をうなる 三味線を かき鳴らす

仲間を引き連れて あちこち旅へいく

はやぶさの健ちゃん」とも呼ばれていた

貧乏は半端ではなかった

飢え死にしなかったのは お母さんのじじ ばば のお陰

僕は 兄とよく 歩いて30分のお母さんの実家に

米 味噌 醤油 砂糖 塩 野菜 貰いに いった

行く時はカラのリヤカーに僕は乗せられた

帰りは 兄が前を引き 僕が 後ろ 押す

 

どこの家にも テレビは無かった

白黒テレビは 金持ちの家にあった

僕は 弟の「善ちゃん」の手を 掴み

ひび割れた あかぎれの手 冷たい手 手袋は無い

石原さんの家に行った

夜 遅かった

紅白が見たい 見たいよ~ と泣くので

「石原さ~ん 紅白 見せて下さい」って言った

石原のおじさんは 家には あげてくれず

土間の上り框のところを あご で示した

僕たちは そこから 「白黒テレビ」の紅白を見た

賑やかな 歌声とバンド演奏と拍手とが 夢の世界のように

繰り広げられたのを じっと 見入った

 

帰り道

夜空の星が キラキラ きれいだった

「テレビって いいな 大きくなったら もっと

きれいで 色のでる の 作るお仕事 やりたいな」

そう 言って 善ちゃんは 僕の手 ギュッと握りしめた

その善ちゃんは 大人になって 日本が生んだ世界のS に

入社して 「テレビ事業部」「研究部」で活躍した