熟年夫婦の在宅介護生活365日「胃ろう・気管切開・嚥下マヒ・糖尿病・認知症・」心臓は生体弁・人工血管・脾臓は摘出・それでも人生は一度限り・100才を目標に生きていきます。

日本百名山を完登したけれど・寝たきり要介護5の妻を介護しながら夫の寺ちゃんが描く、子供時代と青春時代、そして今。

№31 朝からラーメン

 彼女と知り合ったころ 「ねえ 明日 京急がストで 止まるんだって」

僕は 新聞社の車で 通勤していた 午前9時出勤だ 別に 偉くもない

普通だ 「いいよ 明日 君の うちに 迎えにいくよ」 初めて いく恋人の家 場所 聞いて 紙に書いた 「朝ごはん でるからね 早めに きてね」と 指切りした。

 僕は東京の大田区目蒲線の駅前のアパート住まい そこから 横浜の彼女のところまで 1時間 かかる ので 午前7時に到着予定として 6時出発とした  仕度があるので 目覚ましは午前5時とした 前の日は 9時に 寝た

 車が 5台 とまれる 二階建ての家 門扉は 開いていた バックでいれた 一発で 決まった 庭は 大きな石が あり 芝生もあり 石灯籠もあり 柿の木もあり 手入れされていた

 「いらっしゃい 」彼女のお母さんが 玄関ドアから でてきた ふくよかな 良い顔していた 案内されて 一階の食堂に いった 彼女のお父さんが テレビ 見ながら 新聞見ながら 「ああ おはよう 〇〇子の迎えだって 〇〇子は 人使いが 荒いな 俺に 似たのかな 京急 スト 中止だってよ ま めし でも食って おくって あげてよ」と言った 僕は 「はじめまして 〇〇です 〇〇新聞社で 知り合って お付き合い しています よろしくお願いします」と 緊張して言った

 「ハイ !!  お待たせ~ 」お盆に 湯気が 立ち昇る もやしが山盛りのラーメンが きた 彼女が 台所で 作っていたのは ラーメンだった 「まあ 朝から ラーメンなんて 何か ないの」お母さんが 笑いながら 言った テーブルの上には 四人分のアツアツのサッポロ味噌ラーメンが 並んだ いただきます~ 朝から ラーメン 食べた  おなか一杯になった 挨拶して 彼女を助手席に 乗せて 浜松町の会社に 出発した お母さんが「いつでも いらっしゃい」と手 振った。

 僕は 車をとめて 下りて 丁寧に 頭をさげた それが 僕の精一杯の挨拶だった やがて それは 結婚へと通じる こととなった  僕の人生にとって ラーメン記念日になった。

 人間は 計算して 策略をめぐらして よりも シンプルに 素のまま 相手の目を 見て 話す それが 一番 理にかなった方法だと思う それで 波長が あって 信頼というものが 産まれるのであれば 最高であると思う 万一 意思疎通が うまく いかず 駄目なときは 引くこと 「ご縁が無い」と あきらめることだ  何もかも 自分の思い描いた通りにはならない 自然と 良い 方向に いく場合もあるし 知らないあいだに 変なことに 巻き込まれている場合もある いずれも「気づく」と言う 心のアンテナを ちゃんと していれば 泣くことはない 

 今 結婚してから40年 娘も 40才 孫も いて 別のところで 生活しているが この 幸せは 「40年前の一杯のラーメン」から 続いていることを 僕は 今も 忘れない

一緒に 「朝のもやし味噌ラーメン」を食べた 義父と義母は 天国から

見ている その娘は 日本全国の山々を 登り 日本百名山完登の偉業を主婦として 子育てしながら 達成した 超人とも 言うべき 凄い女も

病に伏して 要介護5 障害一級 寝たきり その妻を介護している自分は運命に 翻弄され ながらも 「幸せ」を つかみ 明日への道も しっかりと進んでいく 決意に 涙 枯れた瞳を 輝かせ「さあ いくよ」と 自分に向かって 叫んだ。