熟年夫婦の在宅介護生活365日「胃ろう・気管切開・嚥下マヒ・糖尿病・認知症・」心臓は生体弁・人工血管・脾臓は摘出・それでも人生は一度限り・100才を目標に生きていきます。

日本百名山を完登したけれど・寝たきり要介護5の妻を介護しながら夫の寺ちゃんが描く、子供時代と青春時代、そして今。

49話「一目ぼれ」

ハッ とした

ほんの一瞬

瞬き したか しないかくらい

目と目が 合った

その次は もう ほか 見ていた

 

ドキドキ

震えた

何だろう

この 時めき 何?

 

彼女は 何事もなかったように

外の景色 見ていた

 

僕は 彼女に 恋をした

それまでは 何とも なかったのに

その日から 顔 合わす 度に

顔が 赤くなった

 

彼女も 同じだった

恋 するって うきうきすることだと思った

生きているって 素晴らしいこと

恋 することも 人生をバラ色にしてくれる

 

親に感謝

僕を 産んでくれてありがとう~

 

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№ 48 「愛が あれば」

愛が あれば 

何もいらない

本当だと思います

 

その時は 幸せ

それで いい

そのあと 少しづつ

揃えていけば 間に合う

 

楽しい時間

あっと言う間に

過ぎ去り

現実の厳しさを知る

 

それからが 本当の「愛の始まり」

辛いこと 苦しいこと

悩み 何でも 分かち合う

「二人の愛を 育む」

やがて 実を 結ぶ

 

それに 必要なのは

我慢 忍耐 

これが あるかないか

あれば 本当の幸せを

そして「愛」を 手に いれられる

 

みんな そうしてきた

僕も そうだ

だから

成功した者として

「成熟した 果実」を

もいで

その 美味しさに

幸せを 感じることが できる

 

最初の「愛があれば」から

いろいろあった

幸せです・

4月~5月 日本の花「サツキ」が 豪華絢爛に 咲くのが 見られる

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№ 47  「道なり」に 進んで~

人生って とか

何で 生きるの とか

立ち止まる ばっかり

結局 はっきり しないのは

自分自身の問題だと思う

 

そう 思った僕は

とりあえず きのうと同じ

「道なり」で いく

今日も それで いく

お金 稼がないと やっていかれない

 

理屈で ご飯は 食べられない

前へ 前へ いく

振り返るのは いつでも いい

とりあえず 働く 

朝から 晩まで 働く

 

余計な 話には 耳を 貸さない

変なことには 巻き込まれない

親には 時々 何か 買っていく

兄弟とは 時々 ご飯 する

友達とは 時々 会ったり 電話する

 

ひたすら 仕事して

いろんなこと 覚えて

「信用」されて 

それが 財産になり

大きなことも まかされてきて

一人前に なっていった

 

極端に 右とか 左とか よりも

「道なり」に いく

それが 正解だった ことは

今の自分の成功を 見れば わかる

子供にも 孫にも 同じように

して 貰えたら 安心して

あの世へ いくことが できる。

野良猫って言うけれど 道なり に 生きている立派な動物ですね

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№46 世界を動かすことより「人の心」に感動を与えよう と思います

  残された時間を数える

妻が ポツリとつぶやく

「あたし 死んで しまうのね」

僕は あわてて 首を 激しく 振る

「そんなこと ないよ 誰が言ったの」

妻が ベッドから そうと 手を さしのべてきた

僕は 両手で いとおしく 包み込み 軽く 力 込めた

それでも 痛いわ と言うほど 枯れた枝のような手だった

「ごめんね」見つめると 涙が あふれた

担当のナースさんが 体温チェックしていく

個室の窓から 東京湾を行きかう 大きい船が 見える

 

先日 主治医から「残念ですが・・」

余命を 告げられた

ショックだった

覚悟していたが 

あらゆる 抗生薬 投与した

もう 何も 無いと言う

妻の白血球も戦ったが 敗れた

日を重ねるごとに

やせ細っていく 

僕に できることは 偽りの言葉しか なかった

「大丈夫さ」「そのうち良くなるさ」

 

あと 何年かしたら 「新薬」が 認可されると言う

間に合わない

僕は 妻の頬の涙を 指で 拭った

ほのかな ぬくもりを 感じた

いつも 今日が ラストか と病院に向かう

仕事も 忙しい

会社には 多くの社員もいる

世の中の不条理を 知る

切ない それだけだ

 

帰りの車の中で

運転手に 悟られぬよう

目を閉じた

妻と知り合い 楽しかった恋愛時代を

まぶた に 写して 過ぎ去った日々を

両手で 掴み 取ろうとしたが

その時 

背広の携帯が 鳴った

着信メロディは タイムトゥセェイ~♪

病院からだった。

 

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№45 親友の娘さん

彼とは 電話で 話をする

「お~い 生きてるか~」

彼は「何とか 生きてるよ~」

こんな具合だ

時々 電話しないと 生死が確認できない

彼は 奥さんを亡くして 20年になる

心臓発作で 救急車で 病院に 担ぎ込まれたが

運悪く 蘇生しなかった

(僕の妻の場合は 心臓外科手術チームが結成され

15時間の大手術に成功した 現在 要介護5 寝たきり

生存している 日々 皆様に感謝している)

 

彼の娘さんは離婚して 別のところで 仕事して

一人で 生活している

僕の娘も 離婚して 子供と二人で 仕事して

生活している

 

彼が言う

「孫が いればな 」

僕には 孫がいる

大きな違いだ

彼が 気の毒だと思う

電話で 孫の話 しないようにしている

 

彼の娘は 健康であり 時々 顔 見せにくるという

でも 彼が言う

「俺が 死んだら あいつ 生きて いけるのだろうか」

心配することで 親子の絆 保っている

「葬式 ちゃんと やるからよ」

いつも そう 慰める

電話の向こうで 彼が 笑う

 

芝生のように 根 張り 繁殖する 「芝さくら」 きれいだ 可愛くて 弱弱しいと一瞬 思うけれど 実は とても たくましい 強い 僕の娘も子供も 母子家庭という船 うまく あやつり 生きてくれ~ 

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№44  戦争が 終わって

昭和20年代

戦争が 終わって

焼野原

トタン屋根の家

よそも うちも みんな 同じ

 

子供は 育つ

僕は 兄がいて

弟がいて 

遊びに いく時

弟を 連れていく

 

遊びから 帰ってきて

腹 空(す)くと

おやつのあんぱんとか

ビスケット とか 羊羹とか

そんなもの 無いので

どんぶりに 片栗粉 いれ

タマミツ(人工甘味料)いれ

お湯 いれて 

溶いて ドロリとしたの

温かいうちに スプーンで 食べる

 

貧乏の王様って 僕たちのこと

金持ちではないっていうだけで

日常生活は 至って 明るい

男の兄弟が四人いて

お母さんは ほうきで追い回す

お父さんは カレーライスの名人

SB のカレー粉 

とっても 良い匂い

みんなで 食べる カレーライス

大なべが あっと言う間に カラになる

 

僕は 何もかも 叶って

何 一つ 困っていない

人生は 満ち足りている

お金も あるし

しかし

貧乏の時の あの 屈託のない笑顔

笑い声

戻りたくても 誰も いない

人生の幸せは

どこに あるのだろうか

「心のなかの宝石箱」

時々 覗こう

みんなの笑顔が 呼んでいるよ

 

もう 春だってね~ うん そうだよ きれいに咲くんだ~

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№43 100円カレー

僕が 住んでいた 目蒲線の 雪ヶ谷駅前のアパート

木造二階建て 電車が 通ると 揺れた 

生活に 支障はない 

とにかく 男 一人 生活できれば いい

川崎の実家から 自立した 喜びのが 大きい

当時は 僕の友達も ほとんどが 自立していた

いい若いものが 親に ご飯 作ってもらって

庇護のもと 生活するなんて みっともなかった

 

駅前に「100円カレー」店があり

詳しく 言うと カレーショップがあり

メニューに「100円カレー」がある

普通のカレーのと「ライス」が違う

つまり 100円カレー用の ライスなのだ

無論 カレーも 100円用だ

僕は カウンターの恥?   端に腰掛けると

「100円カレー下さい」と言う

少し 声のトーンが おとなしい

「大盛りでお願いします」

増々 声が 遠慮がちだ

普通の人は 普通の注文している

カツカレーの人もいる

 

僕は 100円カレーで空腹を満たした

有り難いこととして 今も 懐かしい

そのころは そのことを 苦労とは思わなかった

青春は 身も心も 燃えていたし

野望もあり 毎日が 活気があり 楽しかった

今は 人生に 成功者として 自分自身への

「ご褒美」としての「孫」の存在が

それを 証明している

10人十色 と言う

当時 100円カレー食いながら 夢を 語った

仲間は 成功したヤツ しなかった者 いろいろだ

同窓会も 雲上の「お座敷」に なってしまった

僕が そこに 出席するには チト 早い

孫の結婚式に呼ばれてからだよ 諸君!!